アンチ・アクションにこだわる

 1985年、日本のパソコン・ゲーム界は、新しいブームに湧いていた。その前年に相次いで発売されたT&Eの『ハイドライド』と日本ファルコムの『ドラゴンスレイヤー』のヒットで、それまでアドベンチャー・ゲームの一変種としてしか扱われていなかったRPGが独自のジャンルを築きつつあったのだ。
 その頃、システムソフト(以下SSと略)の事務所が置かれた福岡市郊外のマンションの一室ではSS初のRPG『エリュシオン』の開発が着々と進められていた。グラフィックとシナリオは竹谷直志、システム関連は入社間もない福田史裕と竹谷が半々で担当していた。
 彼らの作ろうとしていたRPGは、当時流行のRPGとは明らかに一線を画したものだった。それは、キーを押していなくても勝手にゲームが進行してしまうようなアクション性を頭から否定していたのである。他の国産RPGがファミコン・ブームにも引きずられて、逆にアクション性を強調していく中で、なぜ彼らはアンチ・アクションにこだわったのか。1つには、指先の器用さばかりを追求しても、それがゲームの奥深さに直結するとは限らないと判断したからだ。実際、RPGの本質である思考性、物語性を考えれば、もっともである。また、アクションが苦手な人でも安心して楽しめるゲームを提供したいという願いも込められていた。
 この方針は竹谷1人で手がけた最新作の『ブルトン・レイ』などにも受け継がれている。いわばSS−RPGの伝統の1つなのだ。が、竹谷は今だからと、はにかみながら言う。「じつは僕も福田さんも、アクション要素の強いゲームで遊ぶのが苦手だった。もし得意だったら、システム自体が変わっていたかもしれない」と。

お家芸のストラテジック要素

 彼らが非アクション性と並んで意識したのが、様々な要素をよりストラテジックに処理するという手法だった。これは数々のシミュレーション・ゲーム開発で証明されているようにSS本来のお家芸でもあったが、シミュレーションに精通する福田による影響が大きかった。
 たとえばSS−RPGには、アイテムの重さというパラメーターが登場する。他のRPGでは、持ち運べるアイテム数の上限がプログラムの制約から無意味に8の倍数分に設定されていたり、力のないキャラが平気で重い武器を装備できることが多い。ところが『エリュシオン』では、各アイテムに重さがあって、キャラごとに決められた許容重量が持てる上限となっていたのだ。この制限はその後の作品ではなくなってしまったが、武器を装備する時に許容重量を越えると、キャラの戦闘能力が低下するという形で『ブルトン・レイ』などにも登場する。
 この他、武器などには、敏捷性の高いキャラしか使えないもの、器用でないと効果が発揮できないものなどがあった。単純な攻撃力のみで納得しなかったのだ、いかにもSSらしい。
 今でこそ似たパラメータを使うRPGも増えている。が、これら数値要素の必然性、リアルなシミュレート度を考えた時、やはりSS−RPGには、真のストラテジック指向という意味で、一日の長があるようだ。

先見のグラフィックス画面

 プレイヤーをゲームにのめり込ませるには、グラフィックの出来も大きくものをいう。ただこの時気を付けなければいけないのは、グラフィックばかりに気を取られていると、肝心のシステムやシナリオがおろそかになることがあるという点である。最近のRPGの中には、作者自身も気が付かないこの手の「罠」に陥ってしまったものもいくつか見られるが、SSのRPGはその点どうなのだろうか。


▲左は装備なし、右は盾や斧を装備したキャラ。武器の種類によっても外見が変わったりした。『エリュシオン』

▲『エリュシオン』では壁の後から敵が突然出現して驚かされることも

 興味深いのは、SS初のRPG『エリュシオン』が、グラフィック先行で開発されたという経緯である。ふつうRPGが作られる時、作者は、こんな話を盛り込みたい、こんな経験をプレイヤーにさせたいという観点から、まずゲームの骨格を考え始める。ところがもともと漫画家を目指していたという竹谷は「自分の書いたキャラをこんなマップの上で動かしたい」という欲求からゲーム作りを開始したのだ。
 これは下手をすると、前述の「罠」にハマる危険性も大きい。しかし結果的には、グラフィックはあくまで隠し味のような存在として、ゲームを盛り上げることになったのである。

 具体的には、フィールド画面における斜め上方から見下ろした3D画面、武器を持ち替えることで外見の変わるキャラなどである。特に3D画面は、木の後を歩くとキャラの姿が隠れたりする本格的なもので、当時他のRPGが真上からの視点を斜め上からに見せかけて疑似3Dだとか騒ぎ始めていた中で、じつに先見性を感じさせるものだった。この方式は、処理速度やデータ量の問題もあって、残念ながらその後のSS−RPGには引き継がれなかったが(結局真上からの視点を斜め上からの視点に見せかける手法に落ち着いた)ちょっとしたグラフィックにも工夫を凝らすという真摯な制作姿勢として、今でもSS−RPGの中に生き続けている。


▲『ティル・ナ・ノーグII』では俯瞰図に変換されたスタート地点周辺の地形が、プロローグ画面に表示される

画期的システム「シナリオ・ジェネレータ」の登場


▲『ティル・ナ・ノーグII』で全体マップをジェネレートしている様子
 今日のように次々と新作RPGがリリースされるようなゲーム戦国時代においては、制作姿勢以上に、ゲーム自体に革命的な新味が要求されているのも事実だ。その点『ティル・ナ・ノーグ』でSSが採用したシナリオ・ジェネレータは、インパクトにおいて、斬新さにおいて、文句なく画期的な技術といえた。
 これは、大筋以外のシナリオを、コンピュータがゲーム前に自動的に作り上げるシステムで、具体的には、マップの形状、最終目的に至るまでの肉付け的エピソードなどが、事実上無限に近い組み合わせで生み出せるものだった。つまりプレイする人ごとに、まるで違う展開、異なるシナリオを体験出来るわけだ。作られたシナリオにはコード番号があり、これを他人に教えれば同じシナリオで早解きを競うこともできた。

豊かなストーリー性とは

 ジェネレータの登場は、システム面やグラフィック面へのこだわり以上に、SSがRPGのシナリオ性、ストーリー性を重視していたことを物語ってもいた。すなわち、バリエーション豊かなストーリー展開、予想不可能な展開を提供すれば、結果的にシナリオの厚みが増すのではないかとの狙いが込められていたのである。
 もちろん1種類のシナリオだけで遊んでも、ユーザーはこの恩恵をこうむれはしない。またジェネレータの力不足から、まれに極端にバランスの悪いシナリオができたり、必ずしもこの意図が成功したとはいい難い。が、RPGのあり方を、ストーリー提供の面からあらためて問い直したという点で、これはまさにSS−RPGのもう1つの側面を語ることになったのだ。
 ストーリーへの思い入れは、パーティ制のあり方にも現われている。他のRPGでは、パーティが4人いたら4人全員が自分であり、プレイヤーだった。が、プレイヤーは1人で、残りは勝手に行動するような仲間であってもいいのではないだろうか。事実『ティル・ナ・ノーグ』では、仲間になりながら、戦闘で酷使されるとパーティからはずれてしまうキャラや、金を持ち逃げするキャラなど、様々な人物が登場する。そしてこれらは結果的に、ストーリーに厚みを加える上で重要な役割を果たしているのである。

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▲『ブルトン・レイ』でも途中個性豊かな仲間と次々出会うことになる   ▲移動中や戦闘中、仲間は主人公と別の意志をもって個別行動していく

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