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九州国立博物館に行ってきました。(2006.1.26)

 実は、福岡市近辺には、意外と観光地が少ない。博多と言えば「屋台」、「ラーメン」というノリで、いかにも観光の名所という印象があるかもしれないが、それらは特定の場所ではなくて、あくまでも風物でしかないのである。そういうことなので、来客の際に夜は中洲で充分に事足りるのであるが、翌日に観光でもということになるとハタと困るのである。いちおう定番のコースとして、金印の出土した志賀島(しかのしま)に行き、少し足を伸ばして太宰府天満宮(だざいふ・てんまんぐう)を案内すると、それでもうネタが尽きてしまうのである。

 ところで、太宰府は地元以外では、あまり知られていないことが多いので説明しておくが、その昔の律令時代に九州を統括した朝廷(中央政府)の出先機関のことである。機関名としては「大宰府」が正しくて、「太宰府」は中世以降の表記とのことである。現在は、その跡地が「大宰府政庁跡」として史跡になっている。現在でもそうかもしれないが、律令時代であればなおさら九州は最果ての地であって、その役所となると、基本的には中央政府から左遷された役人が赴任することが多かったのである。

 それで有名なのが、菅原道真(すがわらのみちざね)である。道真は学者の家系に生まれ、5歳で和歌を詠んだ天才であった。順調に出世を重ね、57歳で従二位にまで登り詰めた直後に大宰府に左遷されてしまう。どうやら、その能力を妬んだ政敵に無実の罪を着せられたようである。都を出発する際に気に入っていた梅の木を前に詠んだ歌が「こち(東風)ふかば にほいおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」という有名な歌である。その梅の木は、道真を慕うあまり大宰府まで飛んで行ったとされ、それが現在、天満宮の境内にある「飛梅(とびうめ)」である。

 太宰府天満宮はその道真を祭った神社であるが、学問の神様として後世の人々に崇められ、現在では受験生のメッカとなっている。正月の初詣のときにも、九州一の人出となる。しかし、最近では観光地としては寂れつつあり、正月以外は賑わうことがなくなっていた。

 ところが、その隣に昨年の10月に九州国立博物館ができた。国立博物館としては、東京、京都、奈良に続く4番目の博物館とのことである。今さら博物館なんて、というのが大方の雰囲気であったのが、開館するやいなや、予想を遥かに上回る来場者が押しかけたのである。当初は、開館して半年間の入場者の目標は17万人だったのであるが、なんと43日間で44万人という記録を達成してしまった。その後も順調ということを聞いて、一度は行ってみる必要があると思い先週末に行ってみたのである。

 事前のリサーチで、とにかく広いのが特徴ということであったが、確かにそうであった。さすが国立というところであろうか? とうぜん展示物も多く、結局、常設の展示を見るだけで疲れてしまった。特設のほうは、また次の機会にということにしたが、展示物も単に見るだけではなくて実際に触れるものもあったりして、それなりの工夫をしている。銅鏡の裏面は教科書などで見たことがあったが、鏡側の面を手に取って見れたのは少し感動ものであった。また、阿蘇山の噴火や、石器時代の博多湾のCGムービーも、それなりに面白かった。

 今にして思うと、立地が良かったのが最大のポイントのように思う。天満宮にお参りをして、そのついでに博物館に寄る、という流れはひじょうに心地よかった。しかも天満宮とは、エスカレーターと動く歩道で直結している。そして帰りの途中の参道の店で、名物の「梅が枝餅(うめがえもち)」を土産に買って帰るというのが王道である。今度、福岡にお越しの際には、ぜひ太宰府まで足を伸ばしていただくことをお勧めする。

●太宰府天満宮のホームページ
http://www.dazaifutenmangu.or.jp/

●九州国立博物のホームページ
http://www.kyuhaku.com/pr/index.html

≪本日のHEADLINE≫

「スーパーエアーコンバット4」製品情報ページ「SPEC」コーナーの周辺機器の項目に、対応ジョイスティックを追加しました。

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ゲーム業界の大転換期(2006.1.19)

 少し遅れた話題で恐縮であるが、年末商戦において「ニンテンドーDS」の一人勝ちとなった。全国で本体が売り切れとなったが、こういう状況になるのは、かなりの久しぶりである。とうぜんソフトのほうもミリオンセラーが続出で、しかもゲーム機の定番的なRPGやアクションなどのジャンルではなくて、「脳を鍛える大人のDSトレーニング」に代表されるような、純粋なゲームとは言いがたい内容のソフトが目立つのが特徴である。もちろん携帯型のゲーム機ということで、そういうジャンルに偏ったという一面もあるとは思うが、いちばん本質的なことは、エンドユーザーの嗜好が変わってきたということではないかと思う。

 ソニーPS2の隆盛は、RPGソフトとともにあったと言っていい。専用コンピュータ並み(もしくはそれ以上)のCG機能をフルに生かすべく、ソフトメーカーは膨大なコストをかけて開発してきた。Xbox360やPS3に至っては、さらにケタ違いの開発コストがかかることがはっきりしている。ハードに機能が備わっている以上、それを最大限に生かすことがソフトとしての商品価値そのもの、というのが従来の常識であった。ソフトメーカーもエンドユーザーも、それを信じて疑わなかったわけである。しかし、ここにきてCGを売りにしたソフトは、食傷気味になってきたのは否めない。スゴイCGを眺めることでゲームを楽しめる時代は終わったのである。

 もちろんCGが良いことに越したことはないが、最大の問題はソフトメーカーとしての採算性の悪化である。開発コストと売上は、あるていどは比例するものであるが、それが最近は急激に相関関係が崩れるようになってきたのである。会社を維持するためには、それなりの利益を上げなければならない。しかし、かけたコストに見合う売上がなければ、いずれは会社は立ち行かなくなる。これは、どの業界でも同様であるが、ゲーム業界に限っては今まで右肩上がりで成長してきた中で、初めて直面する業界全体の危機と言って過言ではない。

 そういう中にあってのDSの快挙である。いろいろな分析がなされているが、私は任天堂の岩田社長の力に負うところが大きいと考えている。弊社の前身システムソフトと同時期にできたハル研究所という会社がある。一時期は倒産の危機に瀕したが、任天堂の支援を受けて再建した。その縁で、ハル研究所の社長であった岩田氏は任天堂に迎えられ、社長に就任したのである。かつて私は、ハル研究所を表敬訪問したことがある。岩田氏にも会ったが、ひじょうに実直な技術者という印象であった。システムソフトは、伝統的に表面よりも中味にこだわるゲーム開発をしてきたが、当時は両社にあい通じるものがあったように感じていたのである。

 今回のコラムを書くにあたり、ネットでいろいろと調べていた途中で、偶然、下記の記事に行き当たった。2004年6月の記事である。つまり約1年半前のことであるが、その当時に現在のDSの状況を予測できる人がいたであろうか? CG全盛の時代にあって、大方の評価としてはPSPのほうが上であったように記憶している。

●アサヒ・コムの記事
http://be.asahi.com/20040619/W11/0021.html

上記記事からの引用:
「ゲームが売れないのは少子化のせいでも、携帯電話のせいでも、不景気のせいでもない。作り手が手詰まりになっているから」

 全く同感である。ゲーム機の場合とパソコンゲームの場合とでは、多少、事情が異なるが、ゲームとしての本質は同じである。DSの成功の見習うべきところは見習って、より良いゲーム創りに邁進していきたい。

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謹賀新年(2006.1.6)

 正月気分は、もう過去のものとなった感があるが、大晦日と言えばNHKの紅白歌合戦というのが、子供の頃からの習慣になっている。最近は視聴率の低迷が問題になっているとはいえ、やはり圧倒的に多くの日本人が見ていることには変わりない。単に惰性で見ている人もいるだろうし、やはり紅白を見ないと年を越した感じがしないという人も多いのではないだろうか?

 今回NHKは、司会にみのもんたを起用し、起死回生の視聴率アップを狙ったようだが、少し上向いたていどだったようである。それはさておき、今年の大河ドラマは、山内一豊が主人公ということで、とうぜんその紹介にも力を入れていた。この「山内」の読み方であるが、みのもんたは「やまのうち」と「の」をはっきりと言っていた。しかし他の人は「やまうち」と言っていた。正確なところは調べていないが、少なくとも以前は「の」が入っていたし私自身もそう言っていた。ところがどうやら最近では「やまうち」が正解とされているようである。つまり古い人間ほど「の」が入るということのようである。

 これは単に読み方の違いというだけであるが、もう一人の司会者の山本耕史は、「前川清」の紹介のときに「やまかわ」と言ってしまうという失態を演じてしまった。WaTのときには、マイクがカメラに引っかかって倒れるなど、恒例のハプニングが続出したが、まぁ、それも紅白の楽しみの一つではある。

 その名字であるが、日本には10万〜30万もの名字があるとされている。この数の多さは、世界にも類を見ない。数に幅があるのは、山内のように読み方の違いや、同じ漢字でも字体が違うとかいうものもあるからで、いまだに正確な集計はなされたことがないとのことである。

 どうしてこんなに名字の数が多いのか、ということになると諸説あるようであるが、単に昔は好き勝手に名乗っていたから、というのが正解のように思う。名字というのは、先祖代々から引き継ぐものというのは、明治以降に制度として決まってからのイメージであり、江戸時代になるまで、つまり戦国時代までは、かなり適当であったのである。とりわけ住んでいる地名を名字にすることが多かったようである。

 豊臣秀吉は、元々は木下藤吉郎だったのが、出世して羽柴秀吉と名乗った。羽柴は、織田信長の重臣であった丹羽長秀と柴田勝家の一字ずつをもらって秀吉が作った名字である。秀吉は関白になって豊臣と名乗った、といわれることがあるが、それは正しくない。

 当時は、勝手に名字を名乗ることができたとはいえ、本姓と呼ばれる姓だけは、勝手に名乗ることはできなかったのである。例えば徳川家の本姓は源で、織田家は平が本姓である。当時の武士は、ほとんどが源か平が本姓なのであるが、公式の文書には、例えば源家康と署名するのが通常であった。さらに正確には、徳川次郎三郎源朝臣家康となる。

 豊臣は、源や平と同じく、朝廷から下賜された本姓である。これは秀吉だけの特例であった。したがって秀吉の名字は、あくまでも羽柴のままだったというのが正しいところなのである。ところがご存知のように、豊臣氏は三代で滅びてしまった。もっとも短命の本姓となってしまったのである。

 年明け早々に、うんちくを語ってしまったのも、弊社の戦国シミュレーションゲーム「天下統一」の次回作を期待するメールをいただくことが多くなったからである。もうそろそろ出てもいいのではないか、とのことであるが、そう簡単にはいかない。しかし着実に進んではいるので、ご安心いただきたい。乞うご期待、というところである。

≪本日のHEADLINE≫

「インペリアルフォース2 cosmic interceptor」製品情報ページのextraに、第二回「航行日誌」を追加しました。

≪昨日のHEADLINE≫

「G-cluster」によるストリーミング配信サービスのサイトに、「クラビット・アリーナ」が追加されました。
また、エキサイト「Game X」のサイトに、ストリーミング配信サービスとしては初めて「天下統一III」が登場しました。

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